今日は豆腐の日です、スズキです。
10月2日は豆腐の日です。
10(とう)月2(ふ)日ということです。
「2」は「ぶ」とも読めるので、東武(鉄道)の日でもあります。
カレンダーを見たところ、10と2だったので、安直に豆腐の日だと思ったわけです。
そういえば、豆腐の人言えば、、、、という記憶が僕の中で蘇ってきました。
イケメン後輩の誕生日だ。
そういえば、今日10月2日は、後輩のKくんの誕生日です。
25か26歳になったことでしょう。
お誕生日おめでとう、幸せな一年になるといいな。
去年だったか「めでたい日だから豆腐でも食べに行こう」と言った記憶があります。
あいつは10月2日生まれだったなぁ。
改めて、それを感じた日でした。
今の今まで頭に無かった誕生日ということ。
今日が10月2日ということは分かっていました。
ただ10月2日=誕生日という回路になってなかったんです。
その後輩とも1年近く会っていないので。
例えば家族、親しい友人であれば、○月○日=あの人の誕生日
となるでしょう。
残念ながらイケメン後輩のKくんについては、そこまで近い存在では無かったわけです。
間に豆腐がいてくれたこと
ただ、豆腐がいたから、豆腐の日だったから、それを思い出すことができました。
これが何も閃かない日であれば、全くピンとこなかったでしょう。
僕がKくんの誕生日を思い出すことができたのは「豆腐」のおかげです。
「豆腐の日だから、Kくんの誕生日だ」というわけです。
10月2日=豆腐の日 豆腐の日=Kくんの誕生日
だから、10月2日=今日=Kくんの誕生日。
となりました。
記憶そのものはしっかりと刻まれている。
記憶の中には、ちゃんと誕生日がありました。
豆腐の日が誕生日ということも、それがKくんだということも覚えていました。
ただ、それが表に出てくるキッカケが無かっただけ。
記憶がずっと眠っていたんですね。
ずっとずっと記憶の中にいたことでしょう。
それが表に出てくるのはどんな時か。
多くの「何か」に紐付いていれば、よく登場するでしょう。
紐付くものがほとんどなければ、今後ずっと出てこないかもしれません。
目次が大事だ
人間って賢いんです。
記憶はしっかりと刻まれているんです。
それが表に出てこないのは、目次となるモノが無くなってしまったから。
目次が無いから、いろんなモノを紐付けて、遠回りしながら記憶を引っ張り出してくる。
全く違うラインでしまってある記憶、それが偶然どこかで紐付くタイミングがきます。
その記憶を呼び起こすためには、多くのキッカケが必要になりますよね。
五感から目次を、目次から記憶を
例えばキンモクセイの香りがしてきたら。
1年前の記憶、数年前の記憶が出てくることでしょう。
入学式のシーンを見れば、自分が小学生だったとき、中学生だったときの記憶が。
赤ちゃんを見たら、結婚式で、誰かが亡くなったとき。
そうやって、記憶を引っ張り出してくるキッカケがあります。
普段、頭の中で妄想できる、考えることができる量は決まっています。
だから、過去のこと、興味の無いことは、どんどん消えていきます。
ただ消えていくのは「目次の部分」なんですが、消えていくんです。
それを、何かのタイミングで呼び起こしてあげる。
匂い、音楽、風景、味、そういった「五感」で呼び起こしてあげる。
案外、記憶はしっかりと残っているものです。
それを引き出す目次が無くなってしまっただけ。
いつのタイミングか、必ず目次が出てきますよ。