ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

この世に大人は存在しない。まるでサンタクロースのように #小さな違和感

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

成人の日が近いからか。

「大人」に関するエントリーがちらほら。

 

  • 大人になるためには~
  • 大人の条件はこれだ~
  • 僕が考える大人は~

 

ふむふむ、なるほど。

僕も似たようなことを考えている。

単純に年を重ねたら大人になるわけじゃないということ。

でもその先にあるものは、なんだろうか。

 

 

大人はスゴいヤツらだ

僕が小学生のころ。

大人はスゴいヤツらだ。

と思っていた。

何でもできるし、何でも知っている。

それは両親にしろ、近所の人にしろ、スーパーの人でもそうだ。

 

鮮魚コーナーの人が、魚の名前を教えてくれたり、調理方法を教えてくれたり。

バスの運転ができる人、クイズ番組で正解する人。

 

子供のころは、大人=集団 だった。

いろんなことができる人の集まり、いろんなことを知っている人の集まり。

子供のころは、そういった面だけを見てきたし、そういう面しか気付かなかった。

 

小さな違和感

中学生くらいになると、大人に勝てることに気付く。

父親より体力が上回ったり、母親の知らないことを知っていたり。

 

少しずつ「大人」という集団に近付いていく。

そうすると、大人たちのできない面が気になってくる。

「所詮そんなものなのか」と思うようになる。

 

もう少し年を重ね、20歳を過ぎたとき。

別に大人だと思っていた集団の中に、子供みたいなヤツがいて。

小さなころに抱いていた「キラキラした大人」はいつの間にかいなくなっていた。

 

悪い癖だか、良い癖だか、ある事柄に対して、否定的に考えたり、揚げ足をとる癖がある。

「大人は存在するのか」ということ。

本当はいないんじゃないか。

 

いないことを証明するのは難しいが、もしかしたら大人なんていないのかもしれない。

 

どこにもいない大人たち

大人とはサンタクロースのようなモノ。

小さな子供はサンタクロースの存在を信じている。

大人になればサンタクロースなんて存在しないという人が多い。

 

これは「大人」に置き換えてみても同じことだ。

小さな子供のころに認識していた「大人」という存在はまぼろしで、作られたもの。

大人(のような人たち)に騙されたいたのだ。

こんな素敵な大人になれるといいね、立派な大人になろうね。

 

そうやって洗脳されてきた。

いつしか、大人と呼ばれる年齢に近付いたときに、ん? おかしいぞ、と気付く。

 

子供のような大人がたくさんいる

そう気付いてしまう。

自分が成長することで、今まで見えていなかった裏の部分、ダークな部分が見えるようになる。

だから、大人のイメージと、現実の大人にギャップが生まれ、モヤモヤしだすのだ。

 

イメージとのギャップ

小さな頃に抱いていた「大人」のイメージ。

30歳を過ぎた今のイメージにするなら「神様」のような存在だっただろう。

何でもできる、何でも知ってる、困ったときには助けてくれる、言わなくても気付いてくれる。

そんな神様みたいな人に憧れていたのだろう。

 

神様のような人はいる、神様の一歩手前のような人もいる。

でも、神様には出会ったことがない。

 

子供が0(ゼロ)、大人が100としたら。

平均してならすと、例えば80の人がいたり、90の人がいる。

ずっと、ずーっと100の人はいないのだ。

 

仕事中は100の人が、家に帰ると60くらいになることがある。

趣味に没頭しているときは20くらいかもしれない。

 

朝から晩まで続けられない

一時的に大人になれる人がいても、ずーっと、ずーっと大人で居続ける人はいない。

そんな人がいるとすれば、神様なのではないかと思う。

 

子供のころと比べて、広い視野を持てるようになった。

だから、見たくない一面にも気付くことができるようになった。

大人の世界に飛び込んでいくと、大人じゃない一面が見え、大人という存在が遠ざかっていく。

 

本当は大人なんていない、神様のことだから。

 

ただ、大人になるために、限りなく近づくためには。

主役を譲ってみたり、誰かを守ってみたり。

そういう行動で、大人には近付くんだろうな。

ただ、それ自身も揚げ足を取ると、結局のところは、、、、となってしまうので。

こういう不毛な揚げ足取りは、またの機会に。

 

 

サンタクロースっているんでしょうか?

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