振り切れていないと面白くない。
当たり障りのないポジションは、面白くない。
自分の意見がないのか?と言われることだってあるが、それでいい。
強い思いがないから僕は中立になる。
中立になるということは、相手に寄り添うことだったのかもしれない。
逆に中立になるということは、相手を突き放すことになるのかもしれない。
会社で上司とモメた同僚がいたとき。
本当に上司が悪いのだろうか。もちろん同僚のことを信じていたいし、支えてあげたい。そうやって思うこともあるけれど。本当にそれって間違っていないのだろうか。
痴話げんかをした人。彼が、彼女が、云々と言いたいことはたくさんあるはず。傍から見たらヒドいことばかりされている!なんて思うことがあったとしても。
同意することが、果たして正解なのだろうか。
もっとニュートラルに、もっとドライに。
どちらにせよ、良い面も悪い面もある。それを棚に上げる人もいれば、反省している人もいる。
仲良しだから、好きな人だから、と気持ちが偏るのは、どこかで盲目的になってしまって、適切なものが見えなくなるのではないか。なんて思ったりする。
家族や恋人、その気持ちに寄り添ってあげたい、なんて思うけれど、それが本当に正しいのだろうか。
近い関係だからこそ、冷静にフラットな関係になりたいとも思う。
物語は起承転結だ。他と違うこと、つまり「転」があるから、厚みがでる。
みんながAだと思っていること、実はBなんだぜ!!なんて、真逆の方向に引っ張ってみるから、賛成も反対もあり、盛り上がるのだ。
その中間でじっとしていても、波風立たないし、ファンにもならない。つまらないヤツだ。
つまらないヤツだとしても。このポジションを冷静にキープしたい。
プライドが高いとか、こだわりがあるとか、そう言われることもあるけれど。
それ以上にフラットでいたいと思うから。
周りが楽しそうなときも、プラスマイナスゼロで。
どこかで多少は歩み寄ったとしても、俯瞰して、気持ちを真ん中に置いておきたいのだ。僕の感じる真ん中だから、そもそも真ん中自体がズレていることも承知している。
が、できるだけ偏らないように。何者になれなかったとしても。
片方に寄ってしまうと、他方を認めづらくなる、そんな経験もしたから。
他方を貶す人がいるし、他方を陥れる人がいる。どっちがあってもいいじゃないか。と思ってしまうので、そういうものはあまり気にしないように。
善し悪しもフレることが多い。盲目的にAだ、Bだ、となるのは僕は嫌だから。
面白くなくても、僕は中立でいたいのだ。