ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

「いつでも相談してくれたらいいから」と、簡単に相談できたら苦労しない

相手のことを思って優しく手を差し伸べるとき。
「いつでも相談してくれたらいいから」なんて言うのは止めようと思った。

 

相談するかどうか、というボールを悩んでいる相手に渡してしまったところで、何も解決しないんだろうな。なんて思うわけで。

そもそも悩んでいることを相談するというのは、勇気がいる行動。


相手に自分のマイナス面を見せなきゃいけない。守ってきた壁の内側を見せなきゃいけない。
全く知らないような他人であれば、そこまでマイナス面を見せることは抵抗がないかもしれないが、一方でそんな人に相談しようとは思わない。


悩んでいることを受け止めてくれる、親身になってくれるような人に相談したいと思うのだ。
そういう人にはカッコいいところを見せたいからこそ、矛盾してしまう。

 

また、「相談する」というのは難しい。
社会人になって「報・連・相ができていない!」と指導された方もたくさんいらっしゃるのではないだろうか。


報・連・相の「相」は相談の意。つまり相談するということにはスキルが求められる。
「相談する」という行為自体が、エネルギーを使うのだ。
落ち込んでいたり、ダメージを受けていたり。パワーが無い状態で、エネルギーを使うことをしなければいけない。


これは大きな負担になる。

 

エネルギーの負担だけではない。
ある出来事を相談し、解決に導いたり、応援してもらったりするとしたら。
それまでの過程まで伝えないと判断しづらいことがある。


「恋人に振られてしまって落ち込んでいる」ときに、振られたそれだけを見ても厚みがない。
いつから付き合っていたのか、どんな出会いだったのか、楽しい思い出や、喧嘩をした思い出。
などなどが積み重なって、今の関係がある。

 

とすれば、過去のいろいろまで相談相手に伝えなければいけない。
それこそ精神的な負担になってしまう。

 

だから「相談する」という行為そのものが、負担が大きく容易にできるものではないのだ。
元気なときはそれに気付かない。だから相手に対して「いつでも相談してくれたらいいから」なんて言ってしまう。


問題を直視できず、見てみないふりをして頑張っている過程にいる人に、相談させようとするなら、あまりにもイケてないのではないだろうか。


各々がちょうどいいタイミングがある。だから「いつでも相談してくれたらいいから」と思っているなら、「いつでも相談してくれたらいいから」と言わないでほしい。


それ自体が負担に感じてしまうことだってある。

冷静に考えたら分かったことかもしれない。でも、自分がその立場にならないと気付かないことがたくさんある。


僕自身も良かれと思って「いつでも相談してくれたらいいから」なんてことをたくさん言ってきた。
でも、いざ自分が悩んでしまったら。いざ自分が潰されそうになってしまったら。そういう言葉は不要だった。

 

テンションや気持ちの温度感を徐々に合わせてくれて、波長を合わせてくれて。
なんとなく過ごす時間が、一番の相談時間になることだってある。
ふと飲みに誘ってくれたり、連絡をくれるだけでも、調子が戻ることだってある。
そこで「いつでも相談してくれたらいいから」と言われなくても。


辛いときこそ、特別な何かは求めていなくて、落ち着いた日常が欲しくなるものなのだ。

相手を思いやって親切にしてあげたい。
その気持ちは、「何もしない」という行動で叶うかもしれない。


悩んでいるそれを、特別扱いされないことを望むときだってある。

 

安直に「いつでも相談してくれたらいいから」と言うのは止めよう。
それ自体が、プレッシャーになり、ストレスになり。


どうしようもなく窮屈になる経験をしてきたから。

悩んでいるときは、自分の中のリズムが崩れているとき。
それが整うまで、できるだけフラットな環境にいたいと思う。

 

親切の押し売りをするのではなく、迎え入れてあげられる気持ちを。