オンラインのコミュニティに属していると、笑ってくるヤツがいる。
コミュニティに何を求めているのかは人それぞれ。
僕がコミュニティに属するのはどうしてだろうか。
コミュニティって、そんなに立派なモノじゃない。
参加しているコミュニティは、それぞれ頑張っているけれど。
一方で、そんなに頑張っていないのも事実。
コミュニティってジムや習い事のようなものだから。
行きたいときに、行きたい人が、行けばいい。
もちろんそこに、喉から手が出るほど欲しいものがあれば頻繁に通うだろうし、何もなければ連絡すらしない。
例えば、スタバに毎日行ける定期券があるとしたら。
一定数の人はそれを買う。
買うけれど、毎日行く人はどれくらいいるのだろうか。
コミュニティって、そういう気がしているんだけど。
僕自身が定期的に足を運ぶコミュニティはいくつあるだろうか。
身近なところだと、家族、職場、町内会。
通っているジム、習い事をしている教室、定期的に交流会をしてくれる場。
オンラインのコミュニティもいくつかある。
僕はコミュニティのつまみ食いをしている。
多くのコミュニティにいるメリット。
- 気分次第で居場所が作れる。
- 一箇所に依存しない。
- 静観してみることができる
多くのコミュニティにいるデメリット。
- 予定がかぶる
- 費用がかさむ
- 頭を瞬時に切り替えることができない
実際のところは、多くのコミュニティにいて面白い。
あるところでは問題が炎上しっぱなしだったり、あるところでは消えたら燃える、消えたら燃えるの繰り返し。
かと思えば、ほとんど動きがないところや、いつの間にか無くなっているところも。
僕自身が一番良かったと思うのは、自分が参加するコミュニティに偏りができること。
いくつかのコミュニティでお世話になっているんですけど、
— スズキ@今日も絶好調ブロガー (@acogale) November 11, 2017
どれも満遍なくというより、気分によって求めるコミュニティが違うと、再認識。
知らず知らずのうちに、自分が求めていることが変わる。
動き回っているときに役立つコミュニティ、内省するときに役立つコミュニティ。
攻めのとき、守りのとき、学びたいとき、教えたいとき。
それぞれマッチした場所が近くにある。
自分がやりたいことをできる環境、自分が求めているものを得にいく場所。
それが、僕の中のコミュニティだった。
最近は、少しコミュニティから離れたところにいる気がしている。
今は自分自身で考えるときなのだろう。
もしくは周りに振り回されて大変だった時期が続いたとか。
自分自身のコンディションを理解するために、モノサシとしてのコミュニティ。
まだまだフラフラし続けるんだろうな。
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