職場に空気が読めないヤツがいる。
僕より3つ年下の彼女、まったく空気が読めない。と僕は感じる。
「空気を読まない」のではなく「空気が読めない」のだ。
例えば〆切が近い案件で忙しいときに、今じゃなくていいような話をぶっこんでくる。
例えば内輪だけで話していることを、誰彼構わずしゃべる。
もちろんそこには、明確な基準で約束をしているわけではない。
まさに「空気読めよ」ということだ。
彼女と同じ部署になり、一緒に仕事をすることも。
その時に感じたのは、圧倒的な残念さ。忙しそうにしているのだが、量もクオリティも不足している。
書類を書いてもらえばミスが多く、納期が決まっていても間に合わない。
「わたし頑張ってます」で処理をしようとする。
別の部署の知り合いから言われた言葉は「彼女、気遣いが無いね」だった。
空気を読む必要はない。との意見を聞くことがあるが、それは本当だろうか。
空気を読むことができる人が、あえて空気を読まないとしたら。
それは、圧倒的に空気を読んでいることになる。
空気を読まなくてもいい場という判断(=空気を読んでいる)。
同様に、「気を遣わなくていい場で気を遣わない」というのは、圧倒的に気を遣っているということだろう。
そのどちらも、もともとのポテンシャルがなければ表面だけの言葉を受け取って自由気ままに振る舞う。
周囲の人間はオトナなのでその場はうまくやりすごすも、結果としては離れていってしまう。
空気を読む、気遣いとはどういうことなのか。
それは、呼吸や時間、密度や深さを合わせること。相手に合わせてもいいし、自分に合わせてもらえるように引き込んでもいい。
同じ感覚を共有するということだ。
空気を読むことと気を遣うこと、そのベースは同じところに。
「場」を中心にすれば「空気を読むこと」になり、「人」を中心にすれば「気を遣うこと」になるだけのようだ。