ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

「悔しい」と思えた自分に成長を感じる

素敵なブログの記事に出合った。

前から仲良くしているインターネットのお友達の記事なんだけれど。

記事はこれ。

 

www.selfish-father.com


なんというか、彼のことはちょっぴり、ほんのちょっぴり苦手なのだ。

ガサツに見えて、いや、ガサツに見えるわけじゃないんだけど気配り上手だし、僕が年上だということもあるのか、すごく丁寧に接してくれる。

それゆえに、彼が何を考えているのか、キャッチしづらいところがある。

ただそれだけのこと。

 


たまに素敵な記事を書くところもニクいヤツなのだ。

いつもが下手なのかといえば、そうではなく。

 


バッターボックスに立てば安打を決めるし、ここぞというタイミングではホームランを打つ。みたいな。

というわけで、今回の記事はホームランだった。

 


文章というのは、フィーリングの世界のものだと思っていた。

が、文章と頻繁に接するようになって、パズルのような、ロジック満載のものではないかと感じるようになる。

そんなロジックいっぱいな記事を読むと、多幸感に包まれるのだ。

 


でもそれは、ついこの間までのこと。

 


最近は、ちょっとニクいし、悔しい。

僕はいつになったら、そのレベルに追いつけるのだろうか、と焦ってしまう。

 


ありがたいことに素敵な文章を書くお友達や知り合いがたくさんいる。

21歳の一般大学生から、辛い物好きの陽気なおじさま(48)まで。

おかげ様で、僕は素敵な文章に囲まれることになった。

 


キラキラ輝いているもの、さらさらと零れ落ちるもの。

ガツンとぶん殴られたようなものもあれば、最後まで寄り添ってくれるものもある。

 


僕が"書いてみたい!"と思うような文章を、スラスラと書きあげる皆さんがいる。

スゴい!と思うけれど、やっぱり悔しい。

 


同じ"日本語"の土俵で戦うのに。

太刀打ちできないこともある。

 


だから素敵な文章を読むと、1回目は「よかった」「感動した」「素敵」なんて思うけれど

2回目からは「悔しい」「負けたくない」「早く追いつかなければ」なんて思ってしまう。

 


カメラのように、道具に左右されるものでもなく、コストに左右されるものでもない。

ピアノやドラムのようなトレーニングが必要なわけでもない。タイピング速度は多少必要だけれど。

だからこそ、余計に悔しくなるのだ。

 


リアルなほどに、自分の鏡になっているから。

つまりそういうこと。

 


ようやく、スゴい人側に行きたいと思ったから。悔しいと思うようになったから。

文字を書くことが、パズルのように感じるようになってきたから。

以前とは違うレイヤーを歩き始めたと思っている。

 


「悔しい」という気持ちを、真正面で受け止めて。

早く僕も"向こう側"でブイブイ言わせたいのである。