この1週間で、「好き」に対する正反対の考え方に触れることができた。
「好き」を言語化する、「好き」を言語化しない
どちらの考え方も「それもそうだな」なんて思った。
お互いの考え方を尊重しながら、ちょうどいい落としどころを見つけてみたい。アウフヘーベンとはちょっと違うかもしれないけど。
「好き」を言語化する楽しさ
インタビューを積極的に始めて半年が経つ。
「好き」や「こだわり」を取材するインタビュー。ご自身の活動を取材させてもらったり、好きなことを語ってもらったり。
「好き」なことを、一歩、二歩踏み込んで話を聞くことで、具体的な「好き」が見えてくる。
例えば「グラフィックデザインが好き」な人は、
- 好きな人がグラフィックデザインをしていたから
- デザインをしている自分が好き
- 作り上げた後に作品が残るのが好き
- 作った作品で笑顔になってくれる人がいるから好き
などなど、色んなところに「好き」の要素がある。
それを、一つ一つ分解して、ひも解くことで、相手の頭の中を整理することができる。ぼんやり活動していたこと、モヤモヤしていたこと、自分では気付かなかった一面に気付くことができた。
そんな感想を頂くこともある。
「好き」を言語化することで、それを表現する際のサポートにもなるし、これが好きなんだと自信を持てることにもつながっている。
今回、話を聞いた友人も、大きな枠では僕と同じ方向を向いている「好き」だったのだけど、細分化してみると考え方が真逆だった。
もしビジネスとして、二人で一緒に働いていたら喧嘩になること間違いないね。と笑ってしまった。
「好き」を言語化しない楽しさ
一方で、「好き」を言語化しなくてもいいことを教えてくれた友人もいた。
「好きなモノは好き」という考え方。
特別な理由があるわけじゃなくて、気付いたら好きになっていた。
仲良くしていた幼馴染が、急に「好き」になる瞬間があったり。
周囲から指摘されて、自分の中の当たり前が、「好き」という枠の中にいることがあったり。
「好き」の理由をあれこれ並べるのではなく、「好き」なモノは「好き」という気持ち。
理由を考えたとすれば、それは後付けの理由になってしまうし、簡単には説明できないくらいの関係が「好き」を維持してくれている。
可愛いから、楽しいから、色合いが素敵、香りがいい。
いろんな理由があったとしても、
- 好きな理由
- 好きになる理由
- 好きになった理由
- 好きでい続ける理由
似ているようで違うし、それぞれをきっちり理解して「好き」を話するのは、好きなモノ/コトだからこそ、難しくなってしまう。
それだけでなく、とにかく「好きなモノは好き」と言い切れるくらいの「好き」が、気持ちを後押ししてくれているのもあるのかなと感じた。
言葉に頼り過ぎている自分と向き合う
「好き」を伝えるかどうか、言葉や文章で伝えるかどうか。
そういう切り取り方をしてみたけれど、それに違和感を覚える人だっているだろう。
例えば飼っているワンちゃんは言葉は喋らないけれど、嬉しい様子、悲しい様子を伝えることができる。
散文的に言語化することで、言葉に頼り過ぎているのではないだろうか。そんなことを考えてしまった。
たまたま話すことができて、たまたま読み書きができるから、なんでも言語化してしまうのだろうか。
態度で「好き」を表現することもできるし、知識の深さで「好き」を表現することもできる。
「あの人の気持ち、ちゃんと言語化できた!」とは思わないように。
「あの人の気持ちの一部分を言葉にさせて頂いた」
そんな気持ちでこれからもインタビューをしていこうと思った。
モヤモヤをひも解いて言語化する楽しさ、簡単に言葉で説明するのはナンセンスだと言語化しない楽しさ。
どちらの楽しさも知ることができ、今の自分に問いかけることができたから。
二人の友人が教えてくれたことは、定期的に自分の中で消化していかなきゃいけないことなんだと、強く感じている。