「自分に軸を持て、基準となる軸を持っていれば、判断に迷わない」
僕が20歳のころに、先輩に言われた言葉だった。
付け加えて
「その軸は変わってもいい。ただ、軸を持ち続けないと迷子になるぞ」
とも言ってもらった。
その言葉のおかげで、つらいときや判断に迷ったとき、どちらの道に進むか、ずいぶんと助けてもらった。
助けてもらったのだが、最近はちょっと違うかも。とも思うようになった。
軸があるということ。
東京スカイツリーのような立派な建造物であれば軸が必要だろう。実際、東京スカイツリーには「心柱」という立派な柱が通っている。
シンボルであり、お手本のような佇まいは、軸によって完成しているのではないだろうか。
一方で、軸がないものもいい。
やじろべえのように、左右にふらふら揺れているもの。重心はセンターにあるので、いずれピタっと止まるのだが、ふらふらしているところを見ると、軸が通っているとは言い難い。地球ゴマみたいな存在も同じだ。
軸がない分、柔軟さがある。「柳に風」という言葉が示す通り、風になびくことで上手くやりすごすことができる。
突っ張らない、一歩下がった状態を保てる、そんな気持ちになる。
芯が通った、軸が通ったお手本のような存在。柔軟にふわりふわりとかわす存在。
どちらも一長一短だと思うのだが、多くの人は「軸を持ったほうがいいよ」なんて言う。
間違えちゃいけないのは、やじろべえのような、柳のような存在の人でも、足元はしっかり固まっているということ。
その位置からは動こうとしない。振れ幅が大きいだけで、地に足はしっかりついているのだ。
軸があることが立派なような、そんな空気が漂っているけれど。足元さえ固まっていれば、自分がどこに立っているのか明確なのであれば、ふわりふわりと生きていくのも、一つの知恵ではないだろうか。
今の僕はお手本でもシンボルでもないから。右に左に大きく揺れるやじろべえのような生き方を選んでいる。強い信念や気持ちが生まれたとき、東京スカイツリーのように芯が通った軸を持つようになるのだろう。
今は大きく、柔軟に、ふわりふわりと生きているのだけれど。