「恋」
--ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。成功すれば、天にものぼる気持ちになる
僕が高校生だったのは今から20年ほど前のこと。電子辞書が手頃な価格で手に入るようになった。
国語辞典、英和辞典、和英辞典などを持ち歩く必要があったので、多くのクラスメイトは電子辞書を使っていたが、僕は紙の辞書を使い続けていた。
電子辞書の類いは買うことも使うことも無かった。ただ、最近はウェブでの辞書にずいぶんとお世話になっている。広い意味でいうならGoogle翻訳もお世話になっている。
ウェブ辞書は電子辞書ではないのか、と言われるとそれまでなのだけど。やっぱり電子辞書を買おうとは思わない。
と言いつつ、紙の辞書で言葉を調べたのはいつだろうか、と思い出そうとしても。
具体的な日や、その時の様子までは思い出せないのだ。
それは頻繁に使っているからではなく、最後に使ったのは記憶に残らないほど前だったからだろう。
オフィスにも自宅の作業場にも紙の辞書を置いていないのだから。
ブログを書いたり、ライターとして活動しているならば、日本語には敏感になっておきたいもの。それでも辞書を開くことはぐっと減ってしまった。
そうでなくても、仕事で文章を、ドキュメントを書くことはまだまだ多い。
報告書や提案書を書く、マニュアルや仕様書を書く。
最近は、新型コロナウイルスの影響によりテキストコミュニケーションが増えてきた。
対面や電話ではなく、Teamsなどのチャットが頻繁に使われるようになった。
とすれば、日本語を正しく書くこと、正しい日本語を使うことは今まさに求められているスキルなのかもしれない。
そうした中で、そのお手本となるようなものを持っていないというのはダメなのではないか、とも思うようになった。
辞書の面白さは知っているし、まるでパズルみたいに組み合わさっていく様は、心をくすぐられる。出版社や編纂者で解釈が違うのも興味深いところ。
新明解国語辞典の面白さはテレビなど、あちこちで取り上げられているので周知の事実かもしれない。
特に2020年11月には第八版が出版されたので、いつも以上に盛り上がっていた。
自粛期間が続いているときに、「この映画、オススメだよ」と言われた映画は「舟を編む」だった。大渡海という新しい辞書を作る話で、映画内でその辞書が完成するまでは15年かかっている。
オススメしてくれた人は、日本語に敏感な友人だった。言葉を丁寧にくみ取ってくれるような人だ。
そんな環境にいても、辞書を開くこともなければ、辞書を買うこともなかった。
日本語のアンテナがさび付いてきたのかな、と思うような瞬間も多々あったのに、だ。
話し言葉、書き言葉、SNS、メール、手紙。自分から出てくる文字は限られているし、それが正しいかどうかを判断する術は持ち合わせていない。
今の状況からもう一歩踏み込むとしたら、やっぱり辞書が必要になるんだ、と感じている。
「ウェブで調べればいいじゃん」と思うこともあるけれど。同じものがそのまま残り続けるという意味では、スタンドアロンの辞書が必要なのだ。
電子辞書でもまかなえるかもしれないが、どうしてもこだわりが許してくれない。
辞書は紙に限るのだ。手に吸い付くような紙の手触りを含めて辞書だと思うから。
新明解国語辞典の第八版、買うことにしよう。