ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

真剣に話を聞いてくれるから、真剣に話をするようになる

お茶をしたり、会食をしたり、誰かと話す機会は多い。

その話の内容は多種多様で、仕事の話から趣味の話、恋愛の話などなど。多岐にわたる。

 

ただ、その話の濃度というか密度というか、掘り下げるレベルは人それぞれで、お互いがコントロールしている。

しっかりと心を閉ざしているときもあれば、フルオープンにしているときもある。

 

 

自分のことを振り返ってみても、真剣に話を聞いた相手は何人いただろうか。同じく真剣に話を聞いてくれた相手は何人いただろうか。

 

数年前からブログを書き、ライターを始め、日本語をちょっとだけ気にするようになった。

「てにをは」の使い方、言い回し、言葉の具体性。

それまでは気にしたことがない日本語の表現が気になるようになった。

 

一方で、相手にそういう意識がないと、そのバランスは崩れてしまう。相手が適当な言葉を使っていたとしたら、こちらが100%で受け止めて100%で考えた答えとギャップができてしまう。

だから、そのレベルでしか話を聞かなくなってきたし、話をしなくなってしまった。

 

そう言いながらも、少し前には話を真剣に聞いてくれる人ができた。言葉のニュアンスをきっちり受け止めようとしてくれる人ができた。年齢、性別、職業など関係なく、正面から向き合ってくれる人がいた。

 

だから、この人の話をしっかり聞こうと思った。

一方で、僕は話がしづらくなった。この人には嘘は言えないし、適当に誤魔化すこともできないと思った。ちょっと難しい言葉を並べて、それっぽく気取るのは止めた。

「あまり話をしないですね」なんて言われながらも、言葉を選びに戸惑いながらも、話をしたいと思う自分がいた。

 

他人との信頼関係は、何がフックになっているか分からない。

時間通りに待ち合わせ場所にくることが一番大事だと思う人もいるし、失敗をしたときに許してくれる器の大きさかもしれない。

僕が信頼関係において特に感じるのは「真剣に話をきいてくれる」ということだ。

 

「真剣に話を聞く」と言えば「傾聴の姿勢が云々」と言う人がいるが、そういう問題だろうか。言葉の意味を、その背景にあるものまで含めて、捉えようとしているかどうか。察してちゃん、構ってちゃんのように、1言ったら10理解して!みたいな極端なことでもない。

自分の想いを100%伝えるのは難しい。難しい中でも、受け止めようとしてくれる人、100%の情報をキャッチし終わるまで待っていてくれる人のようになりたい。

 

真剣に話を聞いてくれるから、こちらも真剣な話をしようとする。そこに厚い信頼関係が生まれるのではないだろうか。

 

だから一方的だとしても、話を真剣に聞いてくれる人は信頼しているし、大切な人だと思っている。また、真剣に話をしてくれる人も、大切な大切な人だ。

 

ブログを書き、ライターを始め、日本語をちょっとだけ気にするようになってから、ノイズが多い文章、会話と出合うことが増えていた。

逆に、その中で素敵な文章を書く方や、真剣に話をしてくれる方と出会うことができたのも事実。ある程度は甘受すべき程度のことだ。

 

 

話を聞く、話をする。ただそれだけかもしれないけど。そこで生まれた関係は本当に大切にしていきたい。