小学生の頃の話。ある年の正月のことだった。
知り合いのおじさんや家族が集まってワイワイ騒いでいた。
前日に放送された「大晦日だよドラえもんスペシャル」の録画ビデオを見ていたのだ。
あるシーンで、夜の空き地にしずかちゃんがいるのだけど。何かを無くしたか落としたかで、捜し物をしている。みたいな場面だった。
その前の場面では、しずかちゃんが家にいないことに気付いて、のび太のところに電話がかかってくるようなシーンだったと記憶している。
のび太が「しずかちゃん、どこに行っちゃったんだろう」と探しにいく場面で、先のシーンにつながるのだけど。
そのときに知り合いのおじさんが「空き地にいるんだよ」と言ったことにびっくりした。しずかちゃんがいる場所を知っていたのだ。
前日に見たのか?と聞いてみても、答えはノー。おじさんの勘だった。
どうして分かったのか何度も尋ねてみたけれど、「そういうもんだよ」と言われた。
いつからか、その勘が僕にも備わってきた。
アニメを見ていても、ドラマを見ていても、おおよそのストーリーが分かるようになった。ハチャメチャなストーリーでなければ結論が分かってしまう。
その結論が分かった状態で見るから、ちょっと安心するのかもしれない。予定通りに進んでくれるアニメやドラマは心地良い。
その一方で、予定通りに進んでいくことを退屈に感じることもある。ワクワクしなくなる。100%真剣に見ることができなくなった。そこに面白さがないから。
経験のおかげか、色んなことが分かるようになった。
また、全く検討がつかないものも、おおよその予定を立てる必要があることを仕事で学んだ。
自分の中で勝手に道筋をたてて、その通りに感じ取るようになると、面白くないのだけれど。それが僕の中で普通になりすぎてしまった。
日々の買い物でも、気にせずに買い物かごに入れた商品の合計が、だいたいこれくらいの範囲に収まることが増えてきた。
お願いされた仕事は初めてやるものだけど3時間で終わる。と予想して、3時間で終わらすことができた。
おおよそ見当を付けられるようになることで、ある程度のことを自分でコントロールできるようになった。
逆に本気で楽しむことができなくなり、答えに近しいところを攻めるようになった。
これが正解なのか、よく分からないけれど。
予定外の事象に対するストレスが減った一方で、予定外のことが起こる楽しみも減った。
たまには、ごちゃごちゃ考えずに、全力で楽しみたいし、全力で走り回りたい。
そんな気持ちになれるのはどんなときか。その見当はついていないみたいだ。