ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

「批判する人」は供給過多 を身に染みるほど実感している

以前、ブロガーのやぎぺー氏が「批判は必要かもしれないけど、供給過多だよ」と言っていたのを身に染みて感じている。

 

批判は「No」と言えばいい。

それは違う、そんなのダメだ、無駄だと言えばいい。

粗探しをしていればいいだけ。

 

何か提案があるわけではなく、ただただ「ダメ」という。

 

僕が感じる「批判」をする人は、とにかく頑張っている人に多い。

猪突猛進で突っ走っている人。

 

それ以外に言うことはないのだろうか。

あの制度がだめ、この考えはダメ。

 

根拠のない自信で頑張ってきた人。

そういう人に多い。

 

根拠がないから、根拠のないことに慣れてしまっているのだろうか。

論理的に説明できる人は少ない印象だ。

 

あれはダメだ。と言う。

どうして??と聞けば、

・そんなもの当たり前

・そうに決まってる

・何がおかしいと思うわけ??

と。

 

自分の考えを丁寧に共有してくださる方は非常に少ない。

 

 

半面、批判だけをしない人は、非常に学びになる。

ある事象を取り上げても、「とにかくダメ」とは言わない。

 

この部分に問題があるから、こうしたら次の何かが見える。

とか。

 

自分の気持ち、相手の気持ち、お互いのちょうどいいところから始めてくれる。

 

批判する人はジャンクフードみたい。

 

ちょっとつまむくらいなら受け入れられる。

それが、批判ばかりしている人は。

こちらの身体が弱ってしまう。

遠慮したい。

 

感覚でしか話せない人もいるだろう。

その感覚をもう少し言語化できれば。

 

お互いに有意義なものになる。

 

残念なことに、批判ばかりしている人は、レベル1~10でいうところの5~6あたりにいることが多い。

 

そして、その人に群れている人たちは、同じくレベル5あたりの人だろう。

 

できるだけ早く、僕はレベルアップしたいから、批判を楽しんでいる人からは離れよう。

批判をする人は供給過多なのだ。

 

 

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