褒める、褒められる。
そんな記事は過去にも書いた。
2019年10月の僕が思う「褒める」「褒められる」は、どう変わったのか。
基本的に褒められると嬉しい。嬉しいけれど、100%で喜ぶほどじゃない。
褒められたときに嬉しく感じる度合いは
誰に言われたか×どれくらい頑張ったか
で決まると思っている。
「誰に言われたか」というのは
どのくらい好きか×どのくらいスゴい人か×どのくらい見てくれていたか
が指標になりそうだ。
残念ながら嫌いな人からの言葉は耳に入らない。皮肉を言っているのか??と疑ってしまうこともある。
また「褒められる」というのは、認めてもらうことと同じだから。好きな人から褒められると、それだけで嬉しくなる。単純な思考回路だ。
どのくらいスゴいかどうか、も重要なポイントだ。
走っているフォームを褒められたとき。その褒めてくれた人が世界に通用するトップアスリートだったら。大きな自信にもつながるし、飛び上がるほど嬉しい。
つまり、褒めて下さった方が精通している分野かどうか、で、お世辞寄りの話か、本質寄りの話か、判断してしまう。
そんな中で、最近特に大事だと思うのは、日頃どれだけ見てくれていたか。ということだろう。
日頃から気に掛けてくれている人、仲良くしてくれる人から褒められると嬉しい。
それはマイナス面も見てくれた上で、今回の僕は頑張った、よい結果を出した。ということを、きっちり認めてくれているから。
何か成果を出したときだけ褒めるような人は、その人の為に、保身の為に褒めているとしか思えなくなってしまう。
例えば、いつもは挨拶すらしてくれない部長が、大口契約を獲得したときにだけ「やっぱりキミはやってくれると信じていたよ」と言われても、だ。
それに連動するのが、自分自身の気持ち。どれだけ頑張ったのか。
第三者から見てスゴいことでも、本人にとってはいつも通りなんてことがある。
その時に大絶賛されたところで。
今回、ツラかったな。いつも以上に頑張ったな。というタイミングで褒められると、より嬉しく感じるのだ。
その為には、日頃からどれだけ見てくれていたか、ということも大事になる。
とにかく頑張ったときに、無理したときに褒められると、とびきり嬉しい。
これは褒められる側の話。
では、褒める側はどうだろう。
大嫌いな相手なら、皮肉っぽく言うことがあるかもしれないが。一般的には相手に喜んでほしいから、相手のスゴいところを認めたいから、「褒める」行為をする。
だとしたら。先に挙げたようなマイナスのことが起こらないように。
常日頃から相手のことを考えないと邪魔に思われてしまう。
調子のイイヤツにならないためにも。
調子のイイヤツというのは、そいつの為に行動しているのだ。
相手のことを思って行動できるとしたら。褒めたことで不快になることは少ないだろう。
付け焼き刃で嫌われないためにも。日頃からのコミュニケーションを大切にしていきたいと思う。
僕が笑顔でいられるように、周りが笑顔になるように。
心地よいコミュニケーションを心がけたい。