ブログなんてやらなきゃよかった。意識高い人と関わらなきゃよかった。
そう思うのは、自分自身の無力さに気付いてしまうから。
20年、30年かけて築き上げてきた"自分"が、通用しないことを正面から受け止めないといけなくなるから。
「隣の芝生は青い」ではないが、周囲にすごい人がたくさん、かっこいい人がたくさん、燃えている人がたくさんいると、何者にもなれない自分が押しつぶされてしまいそうになる。
冷静に自分を見つめ直してみると「○○が好きです」と言うこともできない。自分の好きなモノってなんだろうか。得意なモノってなんだろうか。
会社やサークルといったコミュニティに属していれば、なんとなくポジションというものができ、そこにあぐらをかいてしまう。そんな世界で生きていても良かったんだけど、別の世界に来てしまった。
メッキじゃ通用しない世界だ
浮き沈みがありながらも、直近では4年間、自己表現をしてきた。
新しい世界に飛び込むと、例えば会社で通用してきたスキルが全く役に立たない。自分以上のスキルを持った人たちがうじゃうじゃいる。
かといって、自分自身のスキルを丁寧に説明できるほど、自分と向き合っていなかった。
"書く"ことだけでなく、話すことも手を挙げることさえ、上手くいかない日々が続く。心が折れすぎて、ぶっとんでしまいそうになったこともあったけど。
それがゼロになったところがスタート地点だった。
まずはお腹を開いて膿を全部出す。辛いこと、痛いこと、直視したくないこと。
現実を見つめながら「自分はダメなヤツだ」ということを強く認識しなきゃいけなかった。
意識高く、オレはスゴいんだ!と生きていきたいのに。
仕事は続けていたし、収入も安定していた。どん底と表現するには程遠いけれど、気分はどん底だった。メッキが剥がれて、周囲との関係も変わり、ポツンと一人になった気分だった。
でも、そこまでしないと冷静になれないんだろう。
「まだ大丈夫」という気持ちが、手抜きを助長させる。
「もう無理だ」という気持ちになったとき、本当の自分と向き合える。
冷静に。どんな自分になりたいのか、どうやって次の一歩を踏み出したいのか、なりたい自分は何者か。
スポンジがカラカラに乾燥したときのように。深呼吸するまえに息を全部吐き出すかのように。
膿を全部出し切って、あとは吸収するだけになるのは、メッキが剥がれ落ちたとき。
ここからがスタートだ。
なりたい自分、目指す自分に旗を立てて、がむしゃらに走り出す。
ぎゅんぎゅん吸収できるようになり、満たされていくのが分かる。情報が琴線にバンバン触れて、思考も感情も大忙し。
そのスタート地点にたどり着けるかどうか、が自己表現の大事なポイントだと感じた。
苦痛だし辛いし止めたくなるから。離脱する人も多いだろう。
だって、そんなことをしなくても、今日、明日死ぬわけじゃないから。
なんなら、「触らぬ神に祟りなし」のモットーで、「臭い物には蓋をする」つもりで目をそらしていくことだって可能だ。
でも、スタート地点に立ちたい。自分のアイデンティティが欲しい。そう思うから、山を乗り越えるのだろう。
周囲と比べて、できない自分を認識し、それを認めること。
過去を全部否定されても、現実をきちんと受け止めること。
人付き合いや環境の変化も、冷静に判断し、受け入れること。
文字で書くと簡単だけど、実行するのは大変だ。その一つ一つが簡単に見えるから、余計に大変だ。
リフォームではなく、スクラップアンドビルドを。
ようやく見えてきた未来に向かって、これからは全力投球していこうじゃないか。
スタート地点に立てたのだから。