新型コロナウイルスの影響で、外出自粛をしている、
以前は暇があれば東京や大阪に行っていたので、自宅で過ごす時間が大幅に増えた。いや、本当にびっくりするくらい自宅にいる。
SOHO的な使い方ができるように、自宅の環境は整えてきたので、自宅にいることに対してのストレスはない。
ただ、遊びに行けないことへの不満は、少しずつ溜まっていく。
サラリーマンの仕事も在宅勤務になり、通勤時間が大幅に減った。
1時間掛かっていたのが、10秒になった。
そんなときは「この通勤時間を勉強に充てれば!」なんて考えている人も多いだろうけど。現実にはベッドの中にいる時間が増えただけだ。
自宅では好きなことが好きなようにできるのでストレスは少ない。
環境の制限もなく、これで満足なのかもしれない、と思っていた。
ただ、どこかで、最近頭が働いていないな、と感じることが増えたのだ。
在宅勤務なので、ウェブミーティング以外では会話をすることもないし、誰かとおしゃべりをすることもない。朝から晩まで、仕事でもプライベートでもテキストでのコミュニケーションばかり。
ひとこともしゃべらないで1日が過ぎてしまうこともある。独り言などで気を紛らわせるしなかないのだけど。
よくよく考えてみたら、自分と向き合う時間が大幅に減っていた。
いわゆる瞑想タイムが無くなっていたのだ。
例えば寝る前に30分、瞑想の習慣がついているひとはいいかもしれない。外出しようと自宅にいようと、寝る前の30分は確保できる。
が、僕の場合は、移動時間が瞑想時間だった。
新幹線や飛行機で移動している時間は、ある程度行動が制限される。
スマホでゲームをするわけでもなく、SNSに興じるわけでもなく。
いつの間にか移動時間は自分と向き合う時間になっていた。
車窓を眺めていると、適度な刺激がある。
春になれば桜が咲き、夏になるとお祭りの提灯がぶら下がっている。
川の土手でゲートボールをしている人、大きな鯉のぼり、ジョギングしている野球部、727の看板。
そういうものから刺激をもらいながら、過去の自分、未来の自分と向き合って、思考を整えていた。
意識が高いわけではなく、移動中の暇な時間があるから、程度なことだった。
だからこれといって準備はない。ストレスのない座席を選ぶ程度のことだ。
東京なら新幹線で、大阪なら近鉄特急で、およそ2時間程度。
駅弁を食べながら、コーヒーを飲みながら、その中で1時間程度のフリーの時間ができる。
ぼんやり過ごす中で、自分自身と対話していたのだ。
その時間が無くなった。移動時間とのセット商品だったので、メインの時間が無くなったから、対話する時間も無くなった。
また、自宅で全てまかなえるので、無駄な時間がない。
通勤時間も無くなったので、生活の中で不自由に拘束される場が無くなったのだ。
余分なものを削ぎ落とした結果、思考に厚みが無くなった。
余分だと思っていたものは、それなりに重要だったのかもしれない。
何気ない生活のリズムが、今までの自分を支えてくれていたみたいだ。