どうしてこんなに当たり前のことに気付かなかったのか。「最高の人生にしたい」という欲は無かったのだろうか。もっと難しいことばかり考えていた。背伸びして、なんだかカッコいいセリフを並べていればいいような気もしていた。
でも根本にあるのは「最高な人生にしたい」ということじゃないか。その為に、お金を稼いだり、好きな人と一緒にいたり、誰かの役に立てたり。というものがついてくる。
「最高な人生」にする。って考えただけで、ワクワクが止まらない。そのくらい単純にスイッチは入って、そのくらい単純に攻められるんだろう。
抽象的な大きな枠があるから、その中を具体的にできるんじゃないか。
ことあるごとに「絶好調!!」と言っていたのも、最高の人生にしたいからだ。1月1日には1年後にまたやってくるけど、2020年の1月1日はもうこれっきり。ラグビーワールドカップのキャッチコピーが秀逸だと思った。
4年に一度じゃない。一生に一度だ。
同じコトのようで、同じコトなんてない。ワールドカップに限らず、全てのコトが一生に一度なのだ。だとしたら、その人生を最高にしようじゃないか。
年末年始のタイミングだから、1年を振り返る、この1年の目標を立てる、ということをした。昨年はヒドいものだった。「人生がうまくいかない」ってこういうものだろうか、と感じた1年だった。冷静に考えてみれば、そうなるべくしてなった結果だった。100%で走りきっていないから、結果はその程度だ。
ワープできる術や裏技があればいいのだけど、目の前のことについて通用するものはない。泥臭く地道に重ねていくことのほうが多い。最短距離を教えてくれる先輩がいたとしても。その道を歩いて行かなきゃいけない。ワープすることはできない。
その努力を忘れて手を抜いてしまう、このくらいでいいや、と止めてしまう。全てがその結果。それで最高の人生はやってくるのか?
見えないところで努力を積み重ねている人たちがいるけれど、見えないところの努力は一目で分からない。同じレイヤーまで成長したとき、「あぁやっぱり見えないところで努力していたんだな」と実感するようになる。
最高の人生にするためには、最高のリソースを割かないといけない。そんな気持ちで、最高に攻めていこうじゃないか。
人前だけで頑張るんじゃなくて。みんなからチヤホヤされる場所で頑張るんじゃなくて、人生というプラットフォームを歩いている間は頑張ってみてもいいんじゃないか、罰は当たらないと思ってる。
最高の人生にするために、結論はやっぱり「ちゃんとやれ!」なんだと感じた。