目の前の試練は、頑張ったら飛び越えられるくらいのちょうどいいハードルだった。
というか、越えられないそれは、試練だと思わないのかもしれない。
試練をきっちり受け止めると、いろんなものが見えてくる。
嫌な上司を見ながら、自分も同じようなことをしているかもしれない。と反省できるようになる。
うまくいかないプロジェクトに対して、立ち止まって見つめなおすことができる。
試練だと思わなかったときは、愚痴の材料にしかならなかった。息抜きの材料にしかならなかったけれど。
地に足をつけて、目の前のあれこれを受け止めてみよう。なんて思い始めたら、景色が変わる。
受け止めようと思うきっかけをくれるのは、自分自身の内側から出てくるものだけでなく、仕事で与えられた何かや、ふと手に取った本だったり、友人からの話かもしれない。
変な方向を向いていた自分の気持ちを、軌道修正してくれて次の一歩を踏み出せるようになる。
それがちょうどいい、自分にとってちょうどいい。
ちょうどよいものじゃないと、目の前には表れないし、それを認識することができない。
ちょうどいいものが現れたとしたら、それは与えられた試練なのかもしれない。