こんばんわ、スズキです。
皆さん調子はいかがですか。
そういえば先日、夜な夜なこんなことをつぶやいてました。
なんか分からんですけどね、一人で抱え込んで苦しんでる時って、ちょっと幸せなんです。悲劇のヒロインになれる気がして。そんなマイナスな一面もあるんですよね。
— スズキ (@acogale) April 17, 2016
悲劇のヒロイン、さいこー!!
悲劇のヒロインってどうなんだろうか。
マイナスなイメージ??それともプラスなイメージ??
悲劇のヒロイン症候群
正式には「ミュンヒハウゼン症候群」というらしい。
「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族「ミュンヒハウゼン男爵」にちなんでつけられた名前。
症例として周囲の気をひくために病気を装ったり、自傷したりするということ。
そういった深い話ではなく、もう少し一般的な視点で捉えてみたいと思う。
誰でも「ヒロイン」になりたい
注目されるのは嬉しいし、ちょっとした自慢になる。
ドヤ顔を決めながら街中を歩いちゃうかもしれない。
人より少しでも目立ったり、認められたりすることは、自己承認欲求を満たしてくれるので、ヒロインになりたいんだよね。
それも、できれば自分が力を入れている分野、出来事で目立てたら最高だろうな。
日本人的な考え方
大きな枠で捉えたときに、目立ちたい気持ちと、周りと同調しなきゃという気持ちの板ばさみになることがある。
特に日本人がよく言われるような「出る杭は打たれる」ような思想があると、目立つ奴「ヒロイン」=「悪」だというイメージがあるかもしれない。
どんどん目立っていこうと思っている僕でさえも、注目を浴びる事に抵抗がある。
やっぱり僕は生粋の日本人なんだろう。
悪いことじゃないけど、一番に手を挙げていく程のパワーが無い。
「恥ずかしい」という気持ちより、どこか少しばかり「後ろめたい」と思う気持ちがある。
マイナス×マイナス=プラス
-3 × -2 = 6
マイナスと、マイナスを掛けるとプラスになる。
そこで僕は考えるのです。
悪いこと × 悪いこと = プラス
になるという無理やりな考え方ができるのではないかと。
つまり言いたいことは
「悲劇」というマイナス要素 × 「ヒロインは悪かも??」というマイナス要素が掛けられると、「良いコト」になるということです。
だからこそ、そこに自信が持てるのかもしれません。
ネガティブな人が、ネガティブなことを考えるから、ポジティブに映る。
私にはこんな悪いことがあったのよ、目立ってもいいのよ、だって悪いことがあったんだもの。
というような、ステキなポジティブな考え方になってしまう。
これはヤバいな。
こんなワガママあっていいのか
こんな自分勝手な考え方っていいのだろうか。
もちろん、どうしようもない理由で悲劇が襲ってきたから、少しはやさしくしてね、という考え方は「あり」だと思う。
が、自分で悲劇を連れてきているなら、そんなのは嘘っぱちだと思うし、楽に生きていこうとしているだけ。
それを、なんとも思わずできる人とはちょっと距離をおきたいけど、それをやってのける人はある意味すごい。
だから「ごっこ」程度にしておこう
本当に悲劇があれば、ヒロインなんかになっていられないだろう。
自分では受け止められないくらいの悲劇だったりしたら、何がなんだか分からなくなってしまう。
自分の不幸話に共感してもらいたい、心配してもらいたい程度のことなら、それは悲劇のヒロイン「ごっこ」だから、TPOに合わせて上手く使っていけばいいと思う。
ちょっとしたキッカケにはなるけど「それはその場で終わり」という程度のものです。
注目されて、気持ちよくて、そのまま「悲劇のヒロイン」でいたい気持ちも分かるんだけどね。
上司の過去の自慢話も、悲劇のヒロインごっこです。
友達がノー天気に話している失恋話も、悲劇のヒロインごっこです。
ほんの少しの楽しみ、優越感程度にしておこう。
これを引きずられると、孤立したヒロインになってしまう。
たまには僕の「悲劇のヒロインごっこ」に付き合ってくださいね。
ではでは。