先日、会社の先輩が退職した。
トラブルがあったわけでもなく、円満な退社だった。
最終出勤日の夕方、ちょっとした場がもうけられた。
退職の挨拶をして、プレゼントを贈る。よくある場だった。
もうすぐ40歳になるその先輩は、あいさつをしながら泣いていた。
たまらず、課長や部長も涙を流していた。その涙が、共に歩んだ時間を証明していた。
いつからか、泣くことが恥ずかしいと思うようになった。
誰かに注意されたわけじゃなく、人前では泣かないようにしよう、なんて思っていた。
泣かないように、と感情を抑えていることは良いことなのだろうか。
人前で泣いてしまって恥ずかしいということは、良くないことなのだろうか。
その壁を乗り越えるくらいすごく簡単なんだけど、それがすごく難しい。
泣きそうになったときに、泣けばいいんだからすごく簡単なんだ。
感情がこみ上げてきて、泣いてしまいそうになるときは何度もあるのに、どうしてそこで「ストップ」させてしまうのだろう。
自我を抑えて、感情を出さないこと。それは一種の社会性だ。
自分の感情に任せて、好き勝手行動することは、社会という場では許されたものではない。
でもさ、その社会性に照らし合わせても、そういう場で泣いてしまうことくらいいいじゃないか。収拾がつかなくなるくらい大声で泣きわめくわけじゃないんだから。
社会性を言い訳に、自分をごまかしているだけなんだと思う。全てを取り払った自分を見られるのが怖かったり、自分の気持ちを前面に押し出していることが恐怖なんだと思う。そういった感情を受け入れるために、心の間口を大きく開いてしまうことを恐れているんだと思う。
どこかで「我慢できる自分、カッコいい」なんて浮かれていたけど、最近は「素直になれる自分、カッコいい」なんて考えるようになったりして。
大勢の前で泣くことはなかったけど、イベントの途中、一番後ろの席でこっそり泣くくらいの余裕はできてきた。
勝手に心で抱えているものを、もう少し解放できたとしたら、次のステップが見えてきそうだ。
無理に泣く必要はないけれど、もっともっと自分に素直になっていきたい。その指標の1つが、人前でも泣いてしまえること、なんだと思っている。