こんばんわ、スズキです。
栃木県日光市に行きました。
後輩が宇都宮にいるので、観光案内をしてもらったんです。
後輩の友人、栃木県出身のその友人に言わせると、日光に行くなら「東照宮」よりも「華厳の滝」が良い。
とのことで、後輩に案内してもらいました。
巌頭之感(がんとうのかん)
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
これは、1903年、優秀な学生であった藤村操が、この華厳の滝で自殺した際に遺書として残したものだ。
高校時代に出会う
僕が高校生の時、この話を学校で教わった。
国語の授業だということまでは覚えているが、どんな話の流れかは覚えていない。
ただ高校生の時に「自殺」というものについて、深く考えさせられるキッカケとなったのだ。
もう一人は、円谷幸吉の自殺。
僕の中では、なぜか深く刻まれている。
栃木県に行くことになった
昨日の記事でも、冒頭にも書いたが栃木県に行くことになった。
そこで、華厳の滝に連れて行ってもらう。
特に予習などもせず、僕の中では「藤村操」のことしか知らない。
それも「華厳の滝で投身自殺をした」ということ、そのあとに多くの人が自殺を図ったということ、自殺の名所になったこと。
それくらいしか知らない。
もっと言えば、日光がどこらへんにあって、華厳の滝がどこらへんにあるのかも知らなかった。
が、せっかく栃木県に行くので、見てみたい気持ちでいっぱいだったのだ。
でかい、でかい、言葉が出ない
僕の勝手な想像だが、投身自殺をするくらいの滝だと思っていた。
それは、どちらかと言えば小さめの滝だと思っていた。
自分の範囲の中で、普通のサイズだと思っていた。
が、でかい、すごく大きい、大きすぎて言葉が出ない。
落差97m、25階~30階建てのビルと同じ高さだ。
想像もできなかったが、すごく大きかった。
それと同時に、そんなところに投身自殺をしてしまうなんてと、当時15歳の少年のことを考えてしまった。
頭の中で勝手に想像されていたストーリー
僕の頭の中では、勝手にサイズが決まっていて、勝手に自殺するときの心境が決まっていて、キレイなストーリーができていた。
滝での投身自殺はこんなものだろう、と勝手に決めていたのだ。
ただ、それを実際に見ることで、生で見ることによって、大きく心を動かされたのだ。
また、その気付きを与えるために、僕を華厳の滝へ導いてくれたのだろう。
百聞は一見にしかず
とどのつまり、これにつきる。
ちゃんと見ろ、ということ。
机上の空論、想像で考えているだけ。
なんていう、そのものが本物と思ってはいけない。
目で見ることで、肌で感じることで、情報量は大きく変わってくる。
その全身で取り入れた情報が、僕の中での本物の情報になるのだ。
インターネットで調べただけ、図鑑で読んだだけ。
そういった知識を100%としないで、実体験に基づく気持ちを大事にしていきたいと思う。