ある事象に対して、賛成、反対のどちらを言ってもいい。
自分自身が納得いかなければ議論すればいい。
やりたい、やりたくない、取り入れるべき、排除すべき。
多くの考え方がある。
多くの考え方があるけれど、多数決やその他の方法であるやり方が決まったらそれに従うこと。
多数決が認められる世の中であれば、多くの意見が尊重される。
もちろん最大公約数的な考え方も大事だが、最終的には一番多い意見が絶対になる。
たとえ嫌だとしても、それを守らなければならない。
納得できなくても、決まった以上は、やらなければならない。
残された選択肢は、もう一度議論の場を設けるか、その場を去るか。
言いたいだけ言って何もしないのは、ちょっと問題。
ただのワガママになってしまう。
みんなで決めたこと、多数決で決まったことは、守らないと。
秩序を乱す人は、受け入れられない。
イヤならイヤで、大人らしい抗議の仕方があるだろうし、意見の通し方がある。
闇雲に、あーだこーだ言うのはスマートじゃない。
結局のところ、押し通せるだけのパワー、人脈、人望、手腕、将来性が無かっただけだろう。
意見を言うのは自由だし、意見を言うことができる場があるなら、どんどん言えばいい。
だからといって、それは意見を「言う」場があるだけで、「受け入れて」もらう場ではない。
相手が納得するだけの準備をしてこなかったあなたの負けだ。
意見を言っても聞いてもらえない、のではなく、聞いてもらえるに値しない意見しか言えなかった。
交渉力がまだまだ足りないだけ。
たとえ自分の意見が通らなかったとしても、決まったことには従う。
これがルールというものではないだろうか。