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【エッセイ】溢れる矛盾の言葉から、もう一人の自分を発見する

こんにちは、スズキです。

文章を書くことが増えると、その文章の中にある意味を考えてしまいます。

 

特に自分の文章というより、他人が書いた文章です。

そこにある「こだわり」や気持ち、感情、情景などをできるだけキレイに受け取りたいと思うから。

その言葉一つ一つが気になるわけです。

 

 

こんなことをつぶやいて

 

ということ。

言葉って矛盾がたくさんあると思っています。

 

それは「過去の自分」と「今の自分」の考え方や環境の違いであればいいのだけど。

どこかに矛盾した主張があったり、その言葉自体が成り立たなかったりすることがあるのです。

 

 

絶対なんてことは、絶対にない

国語の授業みたいですが「絶対なんて、絶対にないんだ」と主張する人もいますよね。

言葉って難しくて、言葉遊びって矛盾がそこらじゅうにあります。

矛盾の中でもスムーズに主張している人がいたり、自分にブーメランが刺さるような人がいたり。

 

先の例でも「不愛想でいい」と主張することで、愛想よく見えてしまったりするわけです。

言いたいことはわかるけど、ツッコむとそうじゃない。

その曖昧なところが、言葉として面白いんですよ。

 

 

 

ダイバーシティに固定観念に

最近聞く言葉で「ダイバーシティ」というものがある。

「多様性」という意味だ。

 

最近の企業スローガンや、企業目標の中で

「ダイバーシティを推進していこう」

ということを言われる。

 

が、それって、ダイバーシティ否定派の意見を潰しているんじゃないか??

「ダイバーシティー反対!!」という意見も、多様性としてキープしておかなければならない。

 

 

合わせて研修することが多いのが「固定観念」というワード。

職業、育ち、環境において、本質を知らずに勝手に決めつける。

「固定観念を持つのはよくない、柔軟に物事を考えよう」

 

と言われても、それが固定観念に対する固定観念だ。

揚げ足をとったように思ってしまう。

 

 

分解すると伝えたいことがわからない

相手のことを知ろうとして、分解しながら深く考えてみると、どんどんスパイラルに陥っていく。

ふわっと読んだり、聞いたりしているときのほうが、言いたいことが伝わっているような気がする。

 

言葉の中には矛盾がたくさんあったり、主観的な部分があったりする。

それをうまく受け止めるのか、国語の試験のように「書いていないことを勝手に推測しない」のか。

 

そういう判断で、またまた分からなくなってくる。

 

本質ではなく、揚げ足をとっているのかもしれない。

その言葉で遊んでいる自分、勝手に妄想している自分が、実は好きだったりする。

言葉で遊ぶことで、もう一人の自分と出会えるような。

 

面倒くさがられない程度に、言葉、単語、矛盾、そういったところを突き詰めてみたいものだ。

 

 

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