自分をニュートラルに保つことを意識したら、相手とぶつからなくなった。
無理に共感しなくてよくなったからだと思っているし、無理に自分の思いを押しつけなくていいからだと思っている。
きのこの山と、たけのこの里、どっちがいいの??みたいなことを言われても。
「今日の僕はたけのこ派」と思っておくだけでよくなったし、相手がきのこ派でも、たけのこ派でも、その人の意見を尊重できるようになった。
自分は誰にも左右されないニュートラルな存在だから。
色眼鏡をかけないで、相手が何を言っていても「それは相手の意見だ」と切り離して考えられるようになった。
相手の意見、きのこの山が大好きだ!という意見に共感できる部分もあるし、納得できない部分もある。
それを「好き」とか「悔しい」とか思わずに、そういう意見がある人と思うようにした。
もちろんニュートラルじゃない自分もいるので、めっちゃ共感することもある。
その辺は役の使い分け。
考え方が違う先輩に、こっぴどく怒られてお説教されるんだけど。
それは「先輩が思っているやり方、クオリティ」なんだな、と客観的に見られるようになった。
「なにくそー」「やってられるか」とは思わなくなった。
この人は、こんなやり方をしたら喜ぶんだ。
この人は、こんな点にこだわっているんだ。
と事実を見ることができるようになった。
「お前のここがダメなんだ」と言われても、
この人から見たら、ここの部分はダメなんだ、勉強になったなぁ
と思うようになった。
ものすごく切り離して、ものすごくドライに見ることができる自分がいるから。
なんでもアリなんじゃないかと思えてきた。
人の意見を聞いたとしても、それは所詮、他人の意見。
本来であれば、それを真摯に受け止めて、取り込んでいかなきゃいけないのだろうけど。
熱意と情熱だけで片付けられる枠に収まらないものもたくさんある。
冷静に、何を言っているのか、きっちり言葉を追いかけて。
それは相手の意見なんだ、と思いながら聞く。
そんなことを考えていたら、何を言われても良くなった。
1つのサンプル意見が手に入ったと思うだけだった。
あまり自分に置き換えなくていいし、そんなに全力で受け止めなくて良い。
ちょうどいい感じに、自分を客観視できたらいいのだ。
そう思うと、お説教されるのもアリかなって。
新しい意見、視点、考え方が手に入る場だと思うから。