面倒なことはルーティンワークになる。
適当に決めたルールに従って、自分自身が自動で動くようにする。
例えばお昼ゴハンを買いに行くことがあれば、会社の近くのローソンに行く。
レジがいくつもある大型店舗だが、一番右の列に並ぶ。
どちらが空いているとか関係なく、いつもと同じだからと右の列に。
気持ちの自動化をして、頻繁に通うことがあれば相手が、この場合は店員さんが覚えてくれる。
「またあの人だ」くらいの認識にはなっているのだろう。
基本的にお弁当は温めない。
冷たいままの弁当が好きだから。
「お弁当、温めますか」と聞かれていたが、毎回断っていた。
そうすると、いつの日からか聞かれなくなった。
通常のお弁当を買っているので温めるかどうか聞いてくれるのが、一般的なサービスだと思う。
それが無くなったということは、「こいつは温めないヤツだ!!!」と認識されたのだろう。
交通系ICで支払っていたので、今度は支払い方法まで言わなくても大丈夫になった。
めちゃ便利、すごく便利。
その反面、覚えられてしまった恐怖感もある。
過去の自分の行動に過ちはないだろうか。
胸を張っていられるだろうか。
もう出会うことは無いから、と雑に生きていないだろうか。
会社近くのコンビニなので、出会うこともあるけれど、気付かれないからと適当に生きてはいけないかもしれない。
なんて思うようになった。
毎朝、同じバスに乗る人、同じ電車の人。
いつの間にか、勝手に知り合いになっていることも。
いつも通りを意識しながら、横柄にならないように。
と、改めて思うのであった。