幸せってそこら中に落っこちているんだと思う。
それを「幸せ」と認識できるかどうか、つまりその事柄についてジャッジできる判断力があるかどうかで、幸せの総量は決まる。
幸せを基準にしなくたって同じことが言える。
蚤の市で、よくわからない花瓶が売られていたとしても。それがあの大先生の作品だったらどうだろうか。それを知っているか知らないか、で値付けもうんと違ってくる。
アイリッシュバーで隣になったその人が、有名なサッカー選手かもしれない。憧れている業界の人かもしれない。
幸せになる要素はそこら中に落ちているのに、それをスルーしている自分がいる。いつの間にか、それに慣れてしまって幸せの解像度が下がってくることもある。
一つ一つのものを、どれだけ丁寧に見ることができるか。なんでもスルーしないように。
新年度に備えて、自分を整えていきたいものだ。